独立行政法人 水産総合研究センター 栽培漁業センター
さいばいコラム
No.37 ウナギの生まれ故郷へ〜調査船「開洋丸」乗船記〜 その2
2008.10.08
南伊豆栽培漁業センター 場長 加治 俊二
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5月21日、航海初日。
台風4号の置き土産(うねり)は初心者の私にとってはなかなかに強烈だった。
何かに掴まっていないと立っていられない。
やがて、恐れていた通り、我が自律神経は内耳前庭および三半規管経由の過剰で不規則な刺激に耐えられず、
顔面は蒼白となり、吐き気が時々襲うという典型的な船酔い状態となった。

幸いにして、携えて来たウナギ仔魚は1Lのサンプル瓶の中に閉じ込められたままで
私の任務である洋上飼育はまだ準備段階だが、午後からは給餌を開始せねばならない。
一方、ヒトの餌、もとい、食事は船では寸分違わぬ定刻に出される。
最初の食事は大揺れの中のお昼だった。
こってりしたあんかけの麺。
頑張ったが無理だった。

そこに経験豊富な九州大学M先生の
「少しでもいいから横になったら。楽になることもあるよ。」のアドバイス。
このまんまじゃどうしようもない。
わらをもすがる思いでふらふらと部屋へ戻って横になってみた。
すぐに、眠気が来て、30分ほどウトウトした。
すると、たったこれだけのことで一番嫌な吐き気がきれいに消えた。
自分でも信じられなかったが、嘘ではない、ホントである。

ここでぐらぐら揺れる船と波の画像がほしいところだが、1枚も無い。
体がこんな状態ではカメラを手にする元気も出なかった。
この日撮った画像は、気分が悪くなる前の6枚と良くなった後の6枚だった。










手前が八丈小島、その後ろが八丈島です。
心眼で見て下さい。
とにもかくにも、船酔いを運良く克服できた(先生、ありがとうございました)。
こうなるとお調子もんのB型の縄文系の♂である私に怖いものはない。
早速、未だに治まらない揺れにふらつきながらも、
19日の9時以降、52時間半もの間絶食状態だった仔魚を、1Lサンプル瓶から100Lの飼育水槽へ開放し、
現状ではウナギ仔魚の唯一無二の餌料であるサメ卵主成分の液状飼料を食わせてやった。
長時間の絶食にもかかわらず、仔魚は1尾の脱落者(死亡あるいは衰弱)もなく、
摂餌も活発で一安心した。

安心したらこっちの腹も減ってきた。
船酔い克服済みの私は 16時15分きっかりの夕食をきれいに平らげた。
この頃になると周りを観察する余裕も出てきた。

17時半には左手に八丈小島と八丈島が現れ、
ここを通過する一瞬だけ電波が船に届くらしく、船員の方が急いで携帯を出していた。
海の色も外洋っぽい深い青に変わってきた。
画像が悪いのは酔っているのではなく、ただ単にへたくそなだけだ。
申し訳ない。


こうして、私もウナギも一息ついた。
しかし、好事魔多し。
その夜にアクシデント発生。
仔魚の飼育には、船の右舷艫、水深3mのあたりから汲み上げた海水を
24〜26℃に温度調整し、0.5μmのフィルターでろ過して使っているのだが、
この給水が一時ストップして飼育水槽への注水が止まっていた。
絞って使っていたバルブが船の振動で動いたらしい。
やや水量を上げ、バルブをガムテープで固定して対処したが、
次の日まで気付かなかったら、私の任務は初日にして終了していた。

冷や汗が出た。

さらに、である。
ウナギ仔魚は極度のきれい好きで毎日水槽を取り替えてあげないと駄々をこねる。
だから、毎日移し替えをして元の水槽を洗う作業が必須となる。
100Lの水槽となると流しで洗えないので、床に水を流しても大丈夫な第2生物研究室を使わせてもらう。
当然、その床には排水口があり、私はそこから自然に排水されると思い込み、
作業終了後に水はけを確認しないままそこを離れた。
40分ほどして戻ると、船員さん4名が排水作業をしつつ、原因がわからんと頭をひねっている。

再び冷や汗。

「すいません!!原因は私です。」
第2生物研究室の床は海面より下に位置する。
海面より低いところから自然に排水される訳がないのだ。
平謝りに謝り、排水ポンプの作動を行うための段取りを教えていただいた。
長い一日がやっと終わった。と思った時は、22日になっていた。
22日は画像を2枚しか撮ってない。
何があったか記憶に無い。
波乱の21日の後だから無理も無いか。

その3へ続きます…)
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